11兄弟たち、私はあなたがたに知らせます。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。 12私はそれを人から受けたのでもなく、教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの黙示によって受けたのです。 13以前、私がユダヤ教徒であったとき、どのようにふるまっていたかは、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。 14また私は、自分の同胞で同年齢の多くの人に比べ、ユダヤ教において先んじており、先祖の伝承に人一倍熱心でした。 15しかし、母の胎内にあるときから私を分かち取り、恵みをもって召してくださった神が、 16異邦人の間にキリストを宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに現すことをよしとされたとき、私はすぐに、血肉をともにする人には相談せず、 17また、私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、アラビアに出て行き、それからまたダマスコに戻りました。 18それから三年後に、私はケファを訪ねるためにエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。 19しかし、主の兄弟ヤコブのほかには、使徒たちの誰にも会いませんでした。 20私があなたがたに書いていることには、神の御前で、嘘はありません。 21その後、私はシリアとキリキアの地方に行きました。 22ユダヤのキリストにある諸教会には、私は顔を知られていませんでした。 23ただ、「かつて私たちを迫害した者が、以前は滅ぼそうとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている」ということだけを聞いて、 24私のことで神をあがめていました。
ガラテヤ人への手紙 1章11–24節(新改訳2017)復活の季節に宣べ伝えられる宇宙的福音と教理の岩盤
教会の聖なる暦によれば、主イエスは復活の後、四十日にわたって弟子たちに神の国に ついて教えられ、その後、天へ昇られました。そして五十日目には、ペンテコステの 聖霊降臨という大いなるリバイバルの時を迎えます。この聖なる出来事は、旧約の 七週の祭り(五旬節)の成就でもあり、霊的には、多くの魂が福音によって神へと 導かれる豊かな刈り入れと、いのちの大収穫を意味しています。
まことの御言葉の深みに触れ、福音の法に従って歩む人の人生には、必ず魂の救いと いういのちの実が結ばれます。もし長年奉仕を続けていても、その実りがまったく 見られないのであれば、私たちは畏れをもって自らの歩みを深く省みる必要があります。
日本オリベットアッセンブリーの聖書の黙想を通して学ぶガラテヤ書は、変質して いない唯一の純粋な福音だけが、人間の魂を罪の束縛から完全に解き放つことが できると、厳かに証ししています。
また、キリスト教の歴史において、ローマ人への手紙をはじめ、コリント人への手紙、 ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、そしてヘブル人への手紙に至るまでの教理に 満ちた御言葉は、聖徒たちの霊的な武器庫として大切にされてきました。これらの 深い教理の黙想は、霊の戦いに立つ教会に、力ある御言葉の剣を握らせてくれるのです。
プロテスタント(長老教会)の伝統:礼拝ごとに宣べ伝えられる説教を通して、 「目に見えないパン(Invisible Bread)」をいただくことに重きを置きます。
私たちが、真理の希望について世の人々からさまざまな問いを受けたとき、福音を 筋道立てて説明し、理解してもらうためには、牛の角をしっかりと握り、一つ一つを 刃物で丁寧にさばいていくように、御言葉を丹念に掘り下げていく深い注解の力が 必要です。そして、真理の御霊である聖霊によって御言葉を見る目が開かれるとき、 教会は人間の空しい言い伝えを見分け、ただ天から与えられた権威の上に堅く 立つことができるのです。
妬みと争いを越えて貫かれる恵みの正統性
パウロが涙と汗を流して築き上げたガラテヤ地方の諸教会に、エルサレムから来た ユダヤ主義者の偽教師たちが密かに入り込みました。彼らは教会の美しい一致を乱し、 妬みと争いの種を蒔いていったのです。彼らは、パウロはエルサレムの使徒たちから 直接任命された者ではないので、真の使徒ではないと主張し、その使徒職そのものを 激しく攻撃しました。そして、異邦人の信徒も肉の割礼を受けなければ救われない という「ほかの福音」を持ち込み、多くの人々を惑わせたのです。
このような危機に直面しても、パウロは決してひるむことなく、人間的な感情に 任せて対立することもありませんでした。彼は、自分が使徒とされたのは、ただ イエス・キリストの啓示と父なる神の権威によるものであると、揺るぎない確信を もって宣言しました。
遣わされた者への信頼が失われれば、その人が宣べ伝える福音そのものへの信頼も 揺らいでしまいます。それゆえパウロは、福音の純粋性を守るため、自らの使徒職が 神に由来することを、ガラテヤ書全体を通して力強く弁証していくのです。
さらにパウロは、ユダヤ主義者たちによる律法主義的な批判に真正面から向き合う ため、ギリシャ人であり、生粋の異邦人であった忠実な同労者テトスを伴い、堂々と エルサレム会議へ上って行きました。ユダヤ人の立場からすれば、異邦人に割礼を 強制しないパウロの宣教は、容易に受け入れられるものではありませんでした。 しかしパウロは、逃げることも妥協することもなく、キリストにある兄弟たちと 直接向き合い、福音の真理を具体的に説き明かしました。
もしこの最初の公同教会会議(Ecumenical Council)において、信仰の本質が 正しく弁証されていなかったなら、世界の教会は回復できないほどの深刻な分裂に 陥っていたことでしょう。
しかし使徒の働き15章は、「ただ信仰によって、ただ恵みによって救われる」という 偉大な福音の一致が確認された出来事を記しています。そしてこの会議を通して、 キリスト教はユダヤ主義という枠を越え、あらゆる民族を包み込む聖なる公同の 教会として歩み始める道が開かれたのです。
アラビアの沈黙の中で確証された唯一の真理
パウロは、ダマスコ途上で復活された主イエスと超自然的に出会い、回心した直後も、 自分の肉親に相談したり、エルサレムにいる先輩使徒たちのもとへ行って使徒職の 承認を求めたりすることはありませんでした。
それどころか彼は、聖なる山のあるアラビヤの荒野へ退き、その後再びダマスコへ 戻るまで、およそ三年間にわたって霊的な隠遁と深い沈黙の時を過ごしたのです。
- 律法の限界の理解
シナイ山に結び付けられ、奴隷を生むものとして描かれるハガル(律法)の限界を深く悟りました。 - 恵みによる自由の確信
人を真に自由にするのは、上から与えられる福音だけであることを確信しました。 - 十字架の贖いの理解
「木に掛けられた者はのろわれた者である」という律法の宣言の意味を深く理解し、そののろいを私たちに代わって身に負われたキリストの贖いの愛を悟りました。
かつてユダヤ教への激しい熱心に突き動かされ、神の教会を激しく迫害し、滅ぼそうと していた自分を、母の胎内にある時から選び分け、異邦人への使徒として召してくださった 主の主権的な恵みを、パウロはこの孤独な荒野での訓練を通して、揺るぎない確信として 受け止めたのです。
ぶどう酒に水が混ざれば、その味も価値も失われてしまうように、キリストの完全な 贖いの御業に、人間の行いや功績という条件を付け加えることは、天ののろいを 招くほど重大な罪なのです。
プロテスタント宗教改革の偉大な標語である「ただ信仰によって(Sola Fide)、 ただ恵みによって(Sola Gratia)、ただ聖書によって(Sola Scriptura)」という 真理の旗印は、まさにこのガラテヤ書に記された激しい霊的戦いを通して、教会の 歴史の中で大切に守り伝えられてきました。
日本オリベットアッセンブリーの聖徒たち、そしてこの時代に真の福音を守り伝える 者たちは、人から学んだ知識や世の一時的な知恵に頼るのではなく、ただキリストの 啓示の上に据えられた、純粋な恵みの福音だけを堅く掴むべきです。
そして、私たちを縛っていた罪の重荷から完全に解き放たれ、魂を真に自由にする 福音の確かな土台の上に立ち、真の自由と平安を味わいながら、真理の聖なる証人 として力強く歩み続けていくことを心より願っています。
また、パウロが経験した「アラビアの荒野の三年間」のように、主の御前で、自らの 召しと信仰を深く見つめ直し、確かめる静かな時を持っておられるでしょうか。 ぜひコメントで、皆さまの黙想をお分かちください。